遙照山コースの続きです。
今回は『安部晴明の墓』⇒『道満池の坊主岩』⇒『芦屋道満の墓』
安部晴明の墓は民家の脇にありました。

「あら、こんなところに?」と皆さん覗き込んでいます。



この『晴明霊墳』と刻まれた石塚には、陰陽師 安部晴明(921〜1005年)が祭られています。
晴明は天文学や占術に通じ、式神を操り世の吉凶を言い当てたり鬼を退治したりと、神秘的な逸話が数多く残ります。
近くには晴明が暮らした晴明屋敷と呼ばれる場所もあるそうですが、
今は畑と荒地になっているそうで残念です。
さぁ次は、安部晴明のライバルともいわれる、芦屋道満ゆかり場所ですよ。
晴明の墓の裏山を少し入ると林の中に道満池があり、その縁に大きな岩があります。
それが『道満池の坊主岩』です。

岩の上からメガホンで、秋田先生が解説してくださいました。
言い伝えによると、道満は岩に止まり続ける金色の山鳥を見て「悪いことが起こる」と予言し、術で岩を砕くと真っ黒な血が流れ出た。そしてその後は村に不吉な事が起こらなくなったんだそうです。
砕いたとはいえ、今もその場所に高さ7mの巨岩が残ります。
それにしてもいつの間にか秋田先生が岩の上に立ってらしたのには、びっくり!
カメラ班の私たちは、急いで池を廻りこんで、うしろからパチリ☆
あれっ 正面の写真が無い(^_^;) (確か過去ログのどこかにあったような・・・
探してみてください。)
私達は来た道をまた安部晴明の墓まで戻り、
側に住む 赤沢久雄さん宅でお宝を見せてもらいました。

年に一度の祭りの時だけ飾られる幟には 明治四十一年 と染め抜かれています。
101年間大切に守り継がれた幟は色あせも虫食いもなく、新品のように美しいものでした。
晴明の墓から徒歩3分ほど離れた所に『芦屋道満の墓』があります。

陰陽道の祖とされる安倍晴明とライバル関係といわれる芦屋道満ですが、金光占見地区の伝承では師弟関係であったといわれます。
そして、晴明・道満が陰陽道で吉凶を占うことから、この地区が『占見』と呼ばれるようになったという説もあります。
つづく。
浅口よいとこ応援隊 樋口恵美子